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ゴールデンドット
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キリスト教式冠婚葬祭

ゴールデンドット

当教会では、キリスト教式冠婚葬祭の司式を執り行っております。結婚は神様が創造の初めから定められたことで、イエス・キリストもガリラヤのカナで婚礼に連なり、初めての奇跡を行い、これを祝福されました。聖書は結婚を尊いこととして重んじるように勧めています。

引用句

創世記 1:28~

「神は彼らを祝福して言われた。」

​「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。」

キリスト教式ブライダル
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チャペル結婚式司式

「こうゆうわけで、男は父母と離れて女と結ばれ、二人は一体となる。」

創世記2:24~

神様の前に新郎新婦は結婚の誓いをなし、司式者及び参列者は、お二人に神様の祝福があらんことをお祈りします。

キリスト教式葬儀

私たちの教会ではお葬式のことを昇天式とよびます。肉体は土に帰り、魂は天の神様のもとに帰っていくことから、昇天すると言います。

1通夜(昇天式の前夜)

2昇天式(葬送式)

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キリスト教での婚姻・家庭生活・結婚式の研究

ユニバーサル福音教会

ミカエル 御國新一記

1.聖書における結婚あるいは婚姻

「神による祝福としての結婚」

創世記1章27~28:神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。神は彼らを祝福していわれた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。

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「夫婦一体」主体と相対

創世記2章18:また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない、彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。---22~24:主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。その時、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、私の肉の肉、男から取ったものだから、これを女と名づけよう」。それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。

パウロの結婚観「独身でキリストに使える方が良い。単なる禁欲主義ではない。」

コリント人への第一の手紙78~9:次に、未婚者たちとやもめたちとに言うが、わたしのように、ひとりでおれば、それが一番よい。しかし、もし自制することができないなら、結婚するがよい。情の燃えるよりは、結婚する方が、良いからである。---28:しかし、たとい結婚しても、罪を犯すのではない。また、おとめが結婚しても罪を犯すのではない。ただ、それらの人々はその身に苦難を受けるであろう。わたしは、あなたがたを、それからのがれさせたいのだ。

テモテへの第一の手紙第4章2~3:それは良心に焼き印をおされている偽り者の偽善のしわざである。これらの偽りものどもは、結婚を禁じたり、食物を断つことを命じたりする。しかし、食物は、信仰があり真理を認める者が、感謝して受けるようにと、神が造られたものである。

「婚姻関係は死によって解消する」

ローマ人への手紙第7章2:すなわち、夫のある女は、夫が生きている間は、律法によって彼につながれている。しかし、夫が死ねば、夫の律法から解放される。

「子の妻あるいは夫を選ぶことは親のつとめである。」

創世記21章21:彼(イシマエル)はパランの荒野に住んだ。母(ハガル)は彼のためにエジプトの国から妻を迎えた。38章6:ユダは長子エルのために、名をタマルという妻を迎えた。

出エジプト記第2章21:モーセがこの人と共におることを好んだので、彼は娘のチッポラを妻としてモーセに与えた。

洗礼ヨハネは自分を花婿の友人と言った

ヨハネによる福音書3章29:花嫁をもつものは花婿である。花婿の友人は立って彼の声を聞き、その声を聞いて大いに喜ぶ。

「婚姻にあたっての節操の誓い」

エゼキエル書168:みよ、あなたは愛せられる年齢に達していたので、わたしは着物のすそであなたを被い、あなたの裸をかくし、そしてあなたに誓い、あなたと契約をむすんだ。そしてあなたはわたしのものになったと、主なる神は言われる。

マラキ書2章14:これは主があなたと、あなたの若い時の妻との間の、契約の証人だったからである。彼女は、あなたの連れ合い、契約によるあなたの妻であるのに、あなたは彼女を裏切った。

「花嫁の身支度」

エレミア書2章32:おとめはその飾り物を忘れる事ができようか。花嫁はその帯を忘れることができようか。ところが、私の民の、わたしを忘れた日は数えがたい。

「友人親戚、両親の祝福」

創世記24章58~60:かれらはリベカを呼んで言った、「あなたはこの人と一緒に行きますか」。彼女は言った、「行きます」。そこでかれらは妹リベカと、その乳母とアブラハムのしもべとその従者とを送り去らせた。彼らはリベカを祝福して彼女に言った、「妹よ、あなたは、ちよろずの人の母となれ。あなたの子孫はその敵の門を打ち取れ」。

ルツ記4章11:すると門にいたすべての民と長老たちは言った、「私達は証人です。どうぞ、主があなたの家にはいる女を、イスラエルの家をたてたラケルとレアの二人のようにされますよう。

「婚姻の祝宴」

創世記29章22:そこでラバンはそのところの人々をみな集めて、ふるまいを設けた。夕暮れとなった時、娘レアをヤコブの元に連れてきたので、ヤコブは彼女の所にはいった。

「イエスは天国を王が王子の為に催す婚宴に喩えられた」

マタイによる福音書第22章1~14:イエスはまた、譬で彼らに語って言われた、「天国は、一人の王がその王子のために、婚宴を催すようなものである。王はその僕たちをつかわして、この婚宴に招かれていた人たちを呼ばせたが、その人たちはこようとはしなかった。そこでまた、ほかの僕たちをつかわして言った、『招かれた人たちに言いなさい。食事の用意ができました。牛も肥えた獣もほふられて、すべての用意ができました。さあ、婚宴においでください』。しかし、彼らは知らぬ顔をして、ひとりは自分の畑に、ひとりは自分の商売に出て行き、またほかの人々は、この僕たちをつかまえて侮辱を加えた上、殺してしまった。そこで王は立腹し、軍隊を送ってそれらの人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。それから僕たちに言った、『婚宴の用意はできているが、招かれていたのは、ふさわしくない人々であった。だから、町の大通りに出て行って、出会った人はだれでも婚宴に連れてきなさい』。そこで、僕たちは道に出て行って、出会う人は悪人でも善人でもみな集めてきたので、婚宴の席は客でいっぱいになった。王は客を迎えようとしてはいってきたが、そこに礼服を着けていない一人の人をみて、彼に言った、『友よ、どうしてあなたは礼服をつけないで、ここにはいってきたのですか』。しかし、彼は黙っていた。そこで、王はそばのものたちにいった。『このものの手足をしばって、外の暗やみにほうり出せ。そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』。招かれる人は多いが、選ばれる者は少ない」。

「神とイスラエルの関係を婚姻に、イエスと信徒とを花婿と花嫁に喩える」

イザヤ書62章5:花婿が花嫁を喜ぶように、あなたの神はあなたを喜ばれる。

ホセア書2章19:またわたしは永遠にあなたと契りを結ぶ、すなわち正義と、公平と、いつくしみと、あわれみとをもって契りを結ぶ。

コリント人への第二の手紙第11章2:わたしは神の熱情をもって、あなたがたを熱愛している。あなたがたを、きよいおとめとして、ただ一人の男子キリストにささげるために、婚約させたのである。

マタイによる福音書9章15:するとイエスは言われた、「婚礼の客は、花婿が一緒にいる間は、悲しんでおられようか。しかし、花婿が奪い去られる日が来る。その時には断食をするであろう。

エペソ人への手紙第5章23:キリストが教会のかしらであって、自らは、体なる教会の救い主であられるように、夫は妻のかしらである。

ヨハネの黙示録19章7:わたしたちは喜び楽しみ、神をあがめまつろう。子羊の婚姻の時がきて、花嫁はその用意をしたからである。

2.愛と忠実の誓い - 「カトリック要理解説」(百瀬文晃神父著)より

キリストの教会がごく身近なところで実現される-それは、結婚と家庭生活のことです。

「結婚と家庭生活」は人間の生の営みにとってもっとも基礎的なことがらです。健全な結婚と家庭生活なしには人間社会の発展と繁栄はありえません。

イエズスが結婚と家庭生活について語った事:わずかしかありません。イエズスの告げた福音の真髄、生き様の根底は、一口に言って、愛です。

もっとも大切なおきて「第一のおきてはこれである。『イスラエルよ、聞け、われらの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』。(申命記6・4~5)第二のおきては、『隣人をあなた自身のように愛せよ』これである。この二つのおきてより大事なおきてはない」。(マルコ12・28~31)

「わたしがあなたたちを愛したように、互いに愛し合うこと、これがわたしの掟である。愛する者のために命を捨てること、これ以上の愛はない。わたしが命じることを行なうなら、あなたたちはわたしの愛する者である。もう、わたしはあなたたちを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか、知らないからである。わたしはあなたたちを『愛する者』と呼ぶ。父から聞いたことはすべて、あなたたちに知らせたからである。あなたたちがわたしを選んだのではなく、わたしこそあなたたちを選んだのである。わたしがあなたたちに使命を与えたのは、あなたたちが出かけて行き、実をみのらせ、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたたちがわたしの名によって父に願うことは、何でもかなえて頂けるようになるためである。あなたたちが互いに愛し合うこと。これがわたしの命令である」(ヨハネ15・12~17)。

結婚と家庭生活のあり方についてのパウロの言葉:目に見える人間を憎みながら、目に見えない神を愛するなどということは、うそです。(Ⅰヨハネ4・20)神への愛は、人への愛を通して表現され、逆に人への愛を支え、可能にするのは神への愛です。

エペソ人への手紙第5章23:キリストが教会のかしらであって、自らは、体なる教会の救い主であられるように、夫は妻のかしらである。

夫は妻を愛しなさい。キリストも教会を愛し、そして教会のためにご自身をさしだされたからです。キリストがそうなさったのは、教会を水で洗い清め、ことばによって聖なるものとするためでした。すなわち、教会を栄光に輝かせて、しみも、しわも、このようなものは何一つないものとして、ご自身のそば近くに立たせるためであり、教会が聖なるもの、非の打ち所のないものとなるためでした。このように、夫も妻を自分の体として愛さなければなりません。妻を愛する者は自分自身を愛しているのです。いまだかつて、わが身を憎んだ者はなく、かえってそれを養いはぐくみます。キリストも教会に対してそのようになさいました。実にわたしたちは、キリストの体の部分なのです。「それゆえ、人は父母と離れて妻と結ばれ、二人は一体となるのです」。この神秘は偉大です。わたしは、キリストとのかかわりにおいて、教会とのかかわりにおいてこう言っているのです。しかしながら、あなたがたも皆一人ひとり、自分自身を愛するように妻を愛しなさい。(25~33)

相手がいなければ結婚できません。相手を捜す時、次の事をわきまえておくことが大切です。結婚式はゴールなのではなくスタートです。人間は一人では成長できないので、だれかと一緒にささえあって、死ぬまでかかって道のりを歩みつづけて、神のお望みになっている器へと成長していく者です。ですから、相手の人も不完全だし、自分も不完全です。素敵な人を見つけて結婚したら、すべて幸福、というのはうそです。本当の幸福というのは、人間が愛の器としての自分を完成させた時に初めて見出せるものでしょう。だから、人生はやはり巡礼の旅路のようなものです。いつもいくてを仰ぎながら、共通の目的に目を注ぎながら、共に助け合って歩んでいく、そのような道程です。

パウロのコリントの教会にあてた手紙での「愛の賛歌」:たとえ、人間の不思議な言葉、天使の不思議な言葉を話しても、愛がなければ、わたしは鳴るどら、響くシンバル。たとえ、預言の賜物があり、あらゆる神秘、あらゆる知識に通じていても、たとえ、山を移すほどの完全な信仰があっても、愛がなければ、わたしはなにものでもない。たとえ、全財産を貧しい人に分け与え、たとえ賞賛を受けるために自分の身を引き渡しても、愛がなければ、わたしには何の益にもならない。愛は寛容なもの、慈悲深いものは愛。愛は、ねたまず、高ぶらず、誇らない。見苦しいふるまいをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人の悪事を数えたてない。不正を喜ばないが、人と共に真理を喜ぶ。すべてをこらえ、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐え忍ぶ。(Ⅰコリント13・1~7)

カトリック教会では、結婚の誓いを神聖なものとみなしています。教会法に結婚の不解消性ということが定められているのはこのためです。厳しい教会法が定められているのは、教会が結婚を秘跡として尊重するからにほかありません。キリスト者は結婚の理想を高くかかげて、神の導きによって生涯の愛と忠実が可能になるのだと言う事を疑わないようにしたいと思います。

結婚の実り:子供の養育は、結婚生活の中心的なことがらとして大切に考えています。人工中絶は生命の抹消であり、神に対する冒涜です。

 

3.約婚式・結婚式 「教会生活の手引き」(鎌倉雪ノ下教会 加藤常昭牧師著より)

結婚式も基本的には主日礼拝と異ならない教会がする礼拝である。

宗教学においては<冠婚葬祭>のような宗教儀礼を<通過儀礼>と言う。人生にあるいくつかの危機、その危機を乗り越えるために、どうしても宗教、信仰の力が求められる、その為の儀礼が行われるのです。危機、英語で<クライシス>という言葉はもともと<わかれめ>という意味のギリシャ語を語源としている。基本的には生死の分かれ目です。積極的にいうと自分を無くしてしまいかねない危険に打ち勝って、新しい自分を獲得する事ができるかということです。それは一人一人の問題であると同時に、家族の問題でもあります。その人を愛していた者にとっても愛の危機となるのです。危機の具体的な姿-誕生、七五三、試験、成人式、そして何よりも結婚、銀婚、金婚、そしてやがて死。苦しい時の神頼みといわれる<宗教>の姿。信仰が偶像礼拝の誘惑に陥りやすい。自分勝手な願いに都合よく答えてくれる偶像を求める。真実に神に仕えず、利己的な欲望に答える事にのみ、こころを用いる。宗教改革者カルビンのような人は、冠婚葬祭を重んじていませんでした。牧師は、頼まれれば祈ってあげれば良いとしていたようです。仏教が、批判的な意味で<葬式仏教>といわれるように、<結婚式キリスト教>言うようなものに落ちてしまわないように。

逆に人生の危機においてこそ神に近づく。偶像を造り、偶像に出会うのではなく真実の神に出会う最良の機会ともなりうるのです。ですから、教会は、喜んで結婚式をして良いと思います。ただ誠実の限りを尽くす事が大切です。しかも、そこで私たちがするのは礼拝以外にない。主の日に行なう礼拝と同じ行為をする。何よりも聖書が読まれ、神の言葉として説かれる説教がなされる。そのようにして臨在する神の前に立つ。そこで結婚の誓約がなされ、祈り、讃美歌を歌い、祝福を祈る。結婚式は必ず説教をし、それを中心に讃美歌を歌い、祈りをするのです。

キリスト者でないものの結婚式?:結婚式は、生きておられる神の前に立ち、神に対して、互いに変わらない愛に生きると誓う。結婚式の時だけ神と関わり、すめば神と関わりはないという考え方が正しいとは言えません。結婚式は礼拝なのですから、実際に、礼拝を始めると、互いにこの人は自分が選んだというだけではなくて、神が与えて下さった賜物だと知るようになります。そのようないのり、勧め、説教を真心で行なうべきです。このような結婚式で結ばれた人たちは、やがて洗礼を受けるようになり、信仰に根ざした家庭を築いていく事もあります。そのような祈りで臨むことは大切です。

そうは言っても、望ましいのはキリスト者どうしの結婚です。少なくとも信仰を同じくする者との結婚を祈り願うことは大切です。

結婚は、当事者だけの事ではなく、社会的な行為です。社会的に認められ、理解され、祝福されてこそ、自分達も堅実でしあわせな家庭を作ることができます。

婚約には、ただ二人の決心だけではなく、それぞれの両親の同意が必要です。すでに証人(仲人)が決まっていると、その方たちに出席して頂くのも良いでしょう。婚約式はたいていの場合、祈祷室を用います。教会で婚約式をする者は、いわゆる結納のような金銭のやり取りはいたしません。基本的には婚約は破棄できるが、結婚は簡単に破棄できない。婚約式は親、親族と共に結婚に向けての準備を祈る儀式です。婚約期間はできればこころのきずなを深めて、肉体関係は出来れば結婚後にすべきです。神の霊に心配をかけてはいけないと言うのです。(エペソ人への手紙4章30)

結婚式と披露宴:教会、そして牧師が責任を持つのは式であって、披露宴は、本人、そしてその家族の主宰に任せます。今日、華美に過ぎ、贅沢に過ぎる披露宴が多すぎます。節度のある宴を用意したいものです。

結婚式の式次第

(1) 奏楽   信仰的内容の清純な曲でオルガン奏楽。花嫁の父がつれて入場するのは、大切に育てた自分の娘を自分の手で、花婿に手渡すという意味があります。その場合、新郎は先に証人たちと共に式場に入って待っており、花嫁が入ってくると、これを迎え、父親から花嫁の右手を受け取り、共に進んで正面に立つのです。この時、証人たちも両側に立ちます。

(2) 序詞   私どもは今ここに集まり、神と証人の前において、この男女の結婚式を行なおうとしています。結婚は、神が初め人類を創造された時から定められたものであって、主イエス・キリストも、ガリラヤのカナで婚礼につらなり、最初の奇跡を行なってこれを祝福されました(ヨハネ2章)。使徒パウロはこれをキリストと教会との関係になぞらえ、またヘブライ人への手紙(13章4)も「結婚はすべての人に尊ばれるべき」ものであることを教えて、その意義の重大なことを説いています。

    それゆえ、今この二人が夫婦の誓約をするにあたり、この結婚がもし道にかなわないことを知る人があれば、今直ちに責任をもって明言すべきであります。そうでなければ、後日、この結婚に対して何らの異義をもさしはさんではなりません。

    今、私はお二人に申します。あなたがたも自ら省みてこの結婚がもし道に適わないことを認めざるを得ないのであれば、今直ちに明言すべきであります。神の言葉と自らの良心に背いて結婚する者を、神が合わせて下さることはないからであります。

(3) 讃美歌、聖書朗読、祈祷、説教、祈祷

結婚式を礼拝としての聖書朗読と説教、この時の説教では新郎・新婦にも座って聞いてもらう。

(4) 聖書朗読              新郎・新婦にだけ起立を求め、夫と妻の生活についてかたる箇所を読みます。エペソ人への手紙5章21~33。

コロサイ人への手紙3章12~19:あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、責めるべき事があっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦して下さったように、あなたがたも同じようにしなさい。これらすべてに加えて、愛を身につけなさい。愛はすべてを完成させるきずなです。また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和に預からせるために、あなたがたは招かれて一つのからだとされたのです。いつも感謝していなさい。キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、さとし合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。そして、何を話すにせよ、行なうにせよ、すべてを主イエスの名によって行ない、イエスによって、父である神に感謝しなさい。妻たちよ、主を信じるものにふさわしく、夫に仕えなさい。夫たちよ、妻を愛しなさい。つらく当ってはならない。

ペテロの第一の手紙第3章1~9:同じように、妻たちよ、自分の夫に従いなさい。夫が御言葉を信じない人であっても、妻の無言の行いによって信仰に導かれるようになるためです。神を畏れるあなたがたの純真な生活を見るからです。あなたがたの装いは、編んだ髪や金の飾り、あるいは派手な衣服といった外面的なものであってはなりません。むしろそれは、柔和でしとやかな気立てという朽ちないもので飾られた、内面的な人柄であるべきです。このような装いこそ、神の御前でまことに価値があるのです。その昔、神に望みを託した聖なる婦人達も、このように装って自分の夫に従いました。たとえばサラは、アブラハムを主人と呼んで、彼に服従しました。あなたがたも、善を行い、また何事も恐れないなら、サラの娘となるのです。

    同じように、夫たちよ、妻を自分よりも弱いものだとわきまえて生活を共にし、命の恵みを共に受け継ぐ者として尊敬しなさい。そうすれば、あなたの祈りが妨げられることはありません。

    終わりに、皆心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、憐れみ深く、謙虚になりなさい。悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。

(5) 誓約   新郎新婦は証人夫妻と共に壇上にあがり、司式者の前に立ちます。参列者全員にも起立を求めます。まず新郎の氏名を呼び、続いてこう言います。「あなたは、今この(新婦氏名)を妻としようとしています。あなたは、真実にこのひとをあなたの妻とする事をこころから願いますか。あなたは、この結婚が、神のみこころによるものと確信しますか。またあなたは神のみ教えに従い、夫としての道をつくし、常にこのひとを愛し、敬い尊び、助け支えて、その健やかな時も、病める時も、堅く節操を守り、よき慰め手となることを誓いますか。」 新郎は「誓います」と答えます。同じように、「妻」を「夫」に変えるなどの変更をした上で、同じ誓約の言葉が朗読され、新婦もまた「誓います」と答えます。

   誓約に続いて、指輪の交換をする場合は、ここでそれをします。花嫁がヴェールで顔を覆って入場していた場合にには、ここで新郎の手でそのヴェールを上げることになっています。

(6) 祈祷   新しい家が、主のいのりに根をおろしたものとなるようにとの願いを込めて、この祈りは、そのまま主の祈りになります。

    いつくしみ深い主イエス・キリストの父なる御神、今この二人が、今誓いましたことを深く心に刻み、御心に従い、終生変わることなく、その愛の真実を貫くことができますように。常に主のみ恵みの中に置かれますように。隣人に広く心を開く家を作らせてくださいますように。

    この新しい夫婦が、常に祈りに根ざして共に生き、愛と信仰と望みとの歩みを全うすることを願い、主イエス・キリストが私どもすべてに与えて下さった祈りを、この二人と共に祈ります。

    天にましますわれらの父よ、願わくは、御名を崇めさせたまえ。…・

(7) 宣言   (新郎氏名)と(新婦氏名)とは、今ここにまごころから夫婦の誓約をなし、聖なる結婚の手続きを全うしました。この故に、父と子と聖霊に名によって、私は、今、この男女が夫婦であることを宣言いたします。「神が結び合わせて下さったものを、人は離してはならない」。アーメン(マルコ10・9)

(8) 讃美歌、祝福    <羊の大牧者の祝福>永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死者の中から引き上げられた平和の神が、御心に適うことをイエス・キリストによって私たちにしてくださり、御心を行なうために、すべての良いものをあなたがたに備えて下さるように。栄光が世々限りなくキリストにありますように、アーメン。(ヘブライ人への手紙第13章20~21)

(9) 奏楽

教会で結婚式を挙げた二人への勧め

第一に、<感謝>心を持ちつづけて下さい。それはまず何よりも神の<祝福>に対する信頼を込めた感謝であり、また両親、家族、隣人への感謝です。共にこの感謝の中に立つことから生きはじめて欲しいと願っています。

第二に、子が与えられることを大切にして下さい。自分たちで「子どもを作る」などと言わないで、神からの賜物として大切に生み、育てて下さい。

第三に、しかし、子が与えられなくても、さいわいに生き得る道をふたりで作って下さい。特に妻が自分の人生、愛の歩みを確立することが大切です。

第四に、婚約においても結婚においても、<主の祈り>を共に祈った事を、いつも思い起こして下さい。主の赦しに根ざすお互いの赦しがなければ結婚生活は長続きしません。

第五に、どうぞ、共に教会に生きて下さい。共に礼拝し、神に仕え、信仰において一つであることを大切にしてください。牧師、長老に相談し、指導を受け、助けを得るようにしましょう。

 

4.今後の研究課題

  1. 他宗教での婚姻・家庭生活・結婚式の研究

仏教式 - 般若信教「共生楽土」と「観音信仰」、釈迦の悟り。

景教(ネストリウス派キリスト教)と仏教との出会い。空海-真言密教。

神道式 - 「みそぎ」と「祝詞」、お内裏様とお雛様。旧約聖書との繋がり。

儒教の教え - 家庭倫理。

  1. 現世の頽廃 - 性の混乱と家庭崩壊。

  2. 家庭再建と救世運動。 ユニバーサル福音教会の目指すもの。

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